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過去のコラム


長距離ランナーJ

 セバスチャン・コーという偉大な英国人ランナ-がいる。「走る貴公子」と称された彼の肉体と精神を掛けた競技哲学は、オリンピックでの2連覇、世界記録を樹立すること8度という輝かしい戦績以上に、大いなる感動を、観客に残した。
 さて、ジャガーのスポーツカーという車は、このスピードと、スタミナの両方が同じ比重で要求され、欧州で最も尊敬されるという中・長期レースの勝者にも似ている。高いボディ合成と、ドイツ人をして「時として神は、途方もないすばらしいものを英国人に与えた」とまで言わしめた。
 名だたるジャガーAJV8エンジン。貴族趣味のスピリットが漂うノーブルな室内空間。スポーツ魂の粋であるこの車のすべてが、目的とする地が遠ければ遠いほど、速く、しなやかに、しかも深い安堵感に包まれて、ひたひたとした足の運びで快感の中を走るのだ。流れ行く周りの景色を愉しみ、車と道と、一体になって移動の時間に身を委ねる。いつしか、どこからか、ビートルズの、ロングアンド・ワインディング・ロードが聴こえて来る。長距離ランナー、J。
(平成2.4.9朝日、日経記事引用)




プロポーズの言葉は、J、だった。

 映画「卒業」の感動的シーンが、懐かしい追憶の彼方に消えかけて1990年のウエディングは、深窓のイメージを清楚に薫らせている。 時は、イギリスを象徴する薔薇の花が最も美しい6月。あたかもジューン・ブライドの花嫁を、一際祝福しているかのようだ。そんなデピュタントの胸を熱くときめかせた、スイートサイン‘J‘は、花嫁の意思であり、決意であり、そして門出の日に巣立つ2人の目標とする夢だろう。今は、まだ、ジャガーへの序章に並び立つスタートの地点。雨の日も風の日もある、決してバラ色の日々だけでないこの人生。いくたびかのハードルを越え、ひとかどの責務を遂げ、自他共に認める、紳士、淑女になったとき、Jは、きっと、上機嫌にエレガントな姿でやってくる。そのとき分かち合う歓びは、他の何よりも確かで、歩んできた道と、堅く消して揺るがない絆への、最上の贈り物なのだろう。いつしかジャガーを、と誓った若い日の、あの、約束。セピア色のスクリーンに、フラッシュバックする晴れ姿の、傍らで、永遠の愛を見守る、プラチナ・シルバーのSタイプの,J。
(H2.6.1,2朝日、日経参照)


独立。

チャペルの前、どよめきの紙吹雪の中を、しおらしく歩むウエディング姿を、まんじりともせず見遺る、参列者のひとり。
花嫁の父。青年の頃、同名の外国映画を、ガールフレンドと手を握って観た男が人生の巡り合わせとはいえ、その父親役を迎えるとは。
娘の、独立。わが頬は微笑をたたえ、心は、何かをこらえている。
オルガンの響きと、方雷の拍手が、ぽっかりと穴が空いた胸に容赦なくこだまし続け、せめぎあいの中で、ずっと探している、祝福の言葉。鳴呼。
傍らで、今日という日の一部始終を知り尽くしている、わが分身、このジャガーを、門出する花婿に、父からの、はなむけとして呈しよう。





イエスとノーが、ハッキリ言える人。

ビジネスの世界が、イエスとノーのハッキリした意思表示を求めているように、クルマ選びのシーンにも、玉虫色でない自分の本心を、正々堂々と主張すべき時代が確実にやってきている気がする。。無難とか周囲の目といった言葉と反対側にある、ピュアな意識それを大切にする人に、イニシャルJの冠をもつジャガーは”誠実”の2文字を胸に抱いて、しっかりと応えてくれる車。見せかけのステータスや見栄とも一線を画して、来る主人のために魅力を湛えている、J


サリンジャーの小説で、Jに出会った。

青春の1ページに、ジャガーがあった。「ライ麦畑でつかまえて」というサリンジャーの小説で、初めて名前を聞いた時の鮮烈な印象。クラスメートと噂して、見て、あれがJだ,と指を鳴らした興奮。そんな、抱き続けてきた憧れのイメージの、いわば初恋みたいなクルマが、今でも特別な存在でいる。ジャガーは人のハートを奪う何か、言葉にすれば、気品、清楚さ、を湛えている。それはちょうど魅力的なひとは、異性からだけでなく同性からも好かれる、ということとクルマもどこか相通じるものがある。ジャガー。さすがは紳士、淑女を輩出してきた国、イギリスの美意識。都会の雨粒のファインダーを通して人をいっそう美しく見せる、6月の、J。


すれ違ったJが、口笛を鳴らした。

ジャガーの場合、拍手とジェラシーはいつも隣り合わせにある。ノーブルな気品に満ちたシルエット。かようなまでに美しく、官能的でさえあるフォルム。それがコンバーチブルとなれば、これはもう名優である。高いボディ剛性と、数々のレースで見事に立証された、しなやかにして強じんなV12エンジンを包む古典的ともいえる、クラシカルなプロポーション。なにしろ、ロマンスグレーもなりかかった髪くらいは少しく自慢できても、他は、ほとんど心もともない乗り手をかばって余りある、大人の才気と容貌。ルームミラーに遠ざかるJを、一瞬、見遣りながら、この名優に感謝。


平凡な1日ほど、Jは絵になる。

ジャガーは、コンサーバティブな車で、目立つより、目立たないのを誇りに思う、シャイな部分のある車だ。ふと、街に佇んでいる、あのエレガントな姿を見かけた時、持主はどんな人かな、と興奮を抱かせるのも、ジャガーの、持つ肌合いなのか。よく、クルマは2分で人が8分、とジャガーが言われる所以もここにあり、また、それだけ、乗る人の趣味、分別、立ち居振る舞いといったものを、クローズアップしてしまう。特別な意識で自分を顕示するのと違う、等身大の鏡に映るような姿、生活。いわば仕事をこなし、人生を想い、あるがままに生きているかどうか、でしょう。ときに、ジャガーを走らせていて、ふと、ショーウィンドーに写ったりする時の気分は、代えがたく、ほのかな幸せのひとコマ。40Km/hでも大人の快感が伝わってくる、J。


信頼の絆

ジャガーは、持主が賭ける愛情の度合いに、正比例で応えてくれる車です。例えば、ドアひとつにしても、トランクにしても力まかせに閉めないで、手前まで寄せてから、キチンと閉める。そういう、心遣いというか、誠実な物腰のようなものが、あの、何ともいえない気品に満ちた、ジャガーの立ち居振る舞いに不可欠、と言えるのです。だからこそ、心を、身を、注ぎ込むほど、愛馬のように、偽りなく報いてくれる。まさに、信頼の絆で結ばれた、一生の友にも等しい魅力でしょう。そういえばジャガーの遠ざかる美しさは、誰かに似ている。後ろ姿が、ちょっぴり誇らしげな、ジャガー。


十年。

夏になると、Dという名のパイプと、Eという名のスポーツカーが甘くも苦い記憶を呼び醒ます。初めての賞与をつぎこみ、手に入れた一本をたかぶる助手席でどうくゆらしても、駆け出しの青二才の身には似合うべくもなく、ハンドルを握る先輩の師に、十年早い!と一蹴されたことを、昨日のように思い出す。
青春は、修練をよび、精神を鍛え、十年という時間を三たび繰り返し、その物事と対等に向かい合える位置にきた。しかし、あの頃の、パイプとEタイプごころは気がつけば、ものみな短く移ろう世にあって、未だ消えず。
かく言う私は、そろそろ、ジャガーに乗る準備が出来ている。十年。叶うなら、それ以上。




ニューイングランドで、ふとJの故郷を想った。

アメリカを、それも、北東部の地域を旅すると、ハイウェイで、また、名もない小さな町の角で、ほどなくジャガーを見かける。
大西洋を渡ってきたヨーロッパのクルマの中でも、とりわけ眼に入るのは、ニューイングランドという地名の響きと、落ち着いた町のたたずまいのせいだろう。
そういえば、3年前の夏、初めて行った英国。
そして、とうとう訪れたジャガーの故郷。
想えば、あっという間だった、夢のような小旅行の1章1節が、地図上では異なるポイントで、いま、時間と空間を超え、よみがえる。
流れゆく静けさ。 淡い太陽。 淀みない空気。
ふと、気がつくと、目前の交差点の白いジャガーは、およそ、貴婦人たるオーラを発して、異国の見知らぬエトランゼをフォトジェニックな光景でもてなし、視界から次第に遠ざかって行った。
趣きやナンバープレートは違えど、この車の優しさと非凡さは、どんな地球の果てでも変わらない。
2005、サマー・イン・ニューイングランド、J。


西洋。

黒い、詰襟の学生服から開放された身に、海の向こうのスタイルは十分珍しく、若い血潮をたぎらせた。背広。車。海外旅行。マナー。時代と、同士と、先を競って欧羅巴を、亜米利加を享受し、西洋は我が掌中にある、と見たのだが。
ショーファー・ドブリン・ジャガーの、扉を開けてくれたドアマンへのチップのもどかしさ具合を、それと無く指摘され、自分と西洋との確たる距離を思い知った。
ひるがえってハンドルを握る悦びと、西洋の作法と流儀を知る喜び。
果たして、私の分身、ジャガーは、この両者を惜しみなく与え、叶えてくれる。
この夏の、J。


土曜。

青い、晴れやかな声が、校舎にこだましていた高校時代の、土曜日の朝を、思い出す。
そして、土曜日には、決まって英語のクラスがあったように思う。
いつもは不得手な発音も、上機嫌のせいか上手く言えて、その頃、外国といえば、とにかく記憶のヴェールの中、憧れの女の子とデートする車は、ジャガーが一等!と、級友たちと見あった、若い夢。
月日は流れ、居場所は変わり、一片の分別がついた今、大きな子供であることに変わりはなく、変わったといえば、女の子が妙齢のご婦人になったことだろうか。
さて、ジャガーは、土曜の昼下がりが、よく似合う。





タウン アンド カントリーの、J。

ジャガーは、都会のアベニューにも、週末のリゾート・シーンにも、ふしぎと絵になる車です。
ビジネスのゾーンから時計をはずしたホリデイには、ちょっと仕立てのいいリネン地の上着でもはおって、家族といっしょにバカンスのために遠出する。
ジャガーは、そんなプライベートの世界でも、かくも気品あるスタイリングと野生を秘めた性能で、主人のハートを満たしてくれる、いわば才色兼備の、数少ない車です。
ヨーロッパの各都市で、ニューヨークの街で、ザ・ベスト・スポーティ・サルーンと称され、日本でも静かにファンが増えているのも、こうした理由からでしょうか。
人間例えれば、それほど年齢は若くないけれど、物静かなルックスの内側にしなやかな体力を備えた育ちのいいスポーツマン、と言う気がします。
ふと、停まっている気配にも、大人のリリシズムが匂う、ミッド・サマー・イン、J。


センチメンタル・ジャーニィー、J。

夏になると、青春の甘くも苦い記憶をふと想い出す。
向こう見ずの好奇心と行動力で、失敗を恐れずに、何事にも立ち向かっていった日々。
アバンチュール。流浪と、漂白。そして、感傷と、レジスタンス。
ジーンズ1本の丸腰、若さと情熱が武器の青二才の身に、クルマは現実に非ず。
ジャガーなど、夢のまた夢だった。
いつしか歳月が、一片の処世術と地位を与え、分別盛りの年代を迎えて凡そ欲しかったモノは、今や手に入れたのだが。
時の勇気と気概は気がつけば反比例で褪色しつヽあり、充足と多忙と一抹の焦燥感の中にあって、少なからず、自分を見失っているかの現実。
ジャガー。そうだ、今こそこの車に錨を下ろし、自身に辿り着く魂のクルーズにひとり出よう。
流れゆく雲を追い、心の水平線の彼方に駆ける道遥と探求の路。
思えば、人生はグランド・ツーリング。
男は幾つになっても、旅を続けるのだ。
センチメンタル・ジャーニィー、J。


節約。

季節があらたまると、ふと、祖父の言葉を、思い起こす。
見渡せば、大抵のモノが身辺に余儀なくある、世間の暮らし向きの中で。
本当に欲しかったもの。
例えば、ジャガーを待つ、というずっと見ていた夢は、未だ見果てぬ、夢。
かくして、祖父の、時の少年への、節約・倹約!なる言い草は、今や、薫陶よろしく思えてならぬ。
そういえば、英国の市井の人びとは、万事を、その軽重によって算段し、本懐のために精進するという件を、どこか本で読んだ覚えがある。
時は、始まる、秋。
私も、こころに、貯金箱をもつことにした。
もちろん、来たるべき、ジャガーのために。



イギリスと日本で、共通点は何でしょう。J

人は右を歩き、車は左を歩く。
ジャガーという車は、そうゆう、世界でも稀にみる、日本と同じ左側通行の国、イギリスの車ですから、ハンドルは右を範とするのが、自然のことでしょう。
ドライバー席に身を置いて、小ぶりのハンドルを手にした瞬間何ともいえない、しっとりとした落ち着きと、暖かさに包み込まれる。
日本人にとって、これほど違和感なく接することのできる外国車は他にない、と言っていいでしょう。
私たちの、車への思い入れや感覚に、ごく自然に遣うところに、ジャガーが存在するというのは、何とも嬉しいめぐり合わせではありませんか。
時代が求める、控えめな高級感と、さりげない存在感。
同じ島国、英国の誇るし逸品、ジャガー。





印象。

身なりを同じように整えた、会社訪問の若人の群れを見ると、ほろ苦い記憶が走馬燈のごとく甦る。
向こう見ずの好奇心で、ナリフリ構わずぶつかった外資系の面接で、男は中身とばかりPRにに努めた青年に、天は味方しなかった。
印象。その言葉のもつ重さ、非常さ。
街は、オリンピックでわき、かの、青い目の社長は、ジャガーに乗っていた。
年月と、処世術と、地位と。
気がつけば、かつて聞いた、四十過ぎたら、男は自分の顔に責任もて、という年代をとうに迎え、さて、未だ心もとない。
その点、私をかばって余りあるジャガーの印象。
いま、天の恵みとして、そこに身を委ねよう。


ジャガー

ジャガーという車は、どこから近づこうか、一瞬、迷ってしまう。ノーブルな気品に満ちた、フロントビュー。
落ち着いた中に、流れるようなシルエットを見せる、ボディライン。
そして、ちょっと、誇らしげな、後ろ姿。
それほど、ジャガーという車は、どの角度から見ても、美しいプロポーションをたずさえながら、控え目な高級感と、さりげない存在感を、内に秘めているのです。
これこそ、イギリスの上流階級がもつ、他に真似できない美意識とセンス、でしょうか。
長くて、重そうで、堂々としていながら何ともいえない、流麗さ。
英国式の、真のエレガンスが薫る、ジャガー。





走りのジャガ−

ジャガーの品質、性能、テクノロジーの確かさは、眼を見張るものがあります。
あの88’ル・マン24時間耐久レース制覇をはじめ、世界スポーツ・プロトタイプカー選手権における連続優勝が、雄弁に立証。
気品に満ち、その名のごとく、野性の走りを見せてくれる、ジャガー。


ドライビング、ミス、J。

ジャガーという車は、他の何よりも、大人の、素敵な女性のハートを奪うオーラがある。
単なる性能とか、価格といったクルマ的メジャーでは量りえない、優しくて、厳しくて、深い気品と、様式美の魅力。
しかも、それがコンバーチブルともなれば、もう名優である。
ノーブルで、かすかに秘密めいた、たった2人のための移動空間は、喝采とジェラシーの渦の中、あたかも、映画のワンシーンと化する。
さて、そういうパセンジャーズ・シートのレディーとジャガー、と言えば、「おしゃれ泥棒」のヘプバーンを忘れ得ない。
彼女は、かのEタイプロードスターの助手席に、意表にも靴のまま飛び乗って、それから、ストンと腰をおろすのだが、その身のこなしの、しなやかで粋なこと。
かように、衆目の注がれる乗り降りは、大切なシルクのブラウスにアイロンをあてるほどの技量、とでも言えようが、デリカシーこそ、JAGUARと刻されたステージへの、淑女の作法だろう。
翻って、この車を操り、シンデレラをエスコートするジェントルマンの素質には、不断の、騎士たるスピリットが所望されるのだ。
ドライビング、ミス、J。




光景のコレクション、J。

英国の文墳で最も権威のあるブッカー賞に輝いた、カズオ・イシグロの作品に、「The Remains of the Day」(邦題・日の名残り)がある。
古き良き時代のイギリスの印象である執事を主人公に、ノスタルジーと美しい田園風景が綾なす諦観をストーリーに、英国の神髄を描いた名作であるが、こうした舞台こそ、ジャガーの生まれた故郷である。
どこまでも優しく、なだらかに続く丘陵。
その淡いグリーンに木立が濃いグリーンの影を落とし、木漏れ日に揺れて、光の絨毯をつくる。
そして黄昏時には、夕陽が、あたりを深いオレンジ色に染めあげる。
あたかも印象派の絵画を観るような、詩的世界。
それは、内に秘めた静けさに潜む品格であり、美しさのもつ落ち着きであり、慎ましさであろう。
私たちが忘れかけていた、こころの豊かさと感動。
そういえば、ジャガーという車は、図らずとも生粋に、こうした身上を自ら持して、まるで本物の執事のように、乗り手に、いつの日も、まごうかたなき心地良い世界を与えるのだ。
人生は、様々な光景のコレクション、J。






スポーツマンJの、スポーツマンシップ。

もっともイギリス的なスポーツ、“クリケット”から生まれた言葉に、It's not cricket. というのがある。
「それは、クリケットじゃない」から転じて、正々堂々と男らしくやろうよ、の意味で、何事によらず好んで使われるそうですが、スポーツマンすなわちジェントルマンとまで言われる英国における、正義感とフェアプレー精神を垣間見る気がします。
ひるがえって、スポーツマンJたるジャガーのオーナーにことさらスポーツマンシップの冠が要求されるのも、英国の誇る車として、しごく当然のことでしょう。
ご婦人や弱人に対する、いたわり。
道の曲がり方、譲り方。
そしてクラクションの鳴らし方まで、この車ゆえの、いわば卓見した思いやりと品行が所望され、そこにオーナーの騎士たる勲章が与えられるのです。
人生というゲームで勝利の女神は、スポーツマンシップの上に輝く。
スポーツマン、J。








スポーツマンJの、リーダーシップ。

スポーツマンすなわちジェントルマンと言われる英国で、紳士道の規範を記したベストセラーの書に「Noblesse Oblige」というのがある。
このノーブレス・オブリージという言葉は、社会において、それなりの自分のクラスが築けたら、それに相応しい行動・オブリゲーションが要求される、という意味で、いわば、高い身分に伴う精神的責任をさすそうですが、さすがは上流階級なるクラスが今でも息づく英国のジェントルマン気質を見る思いがします。
さて、スポーツマンJたるジャガーという車が、競争社会の階段を駆け上がりサクセスの4文字を得た人こそに相応しいが故に、そのオーナーに、リーダーシップの資質が求められるのは、当然のことでしょう。発進のしかた、停止のしかた。
そしてパーキングのしかたまで、この車ゆえの卓見した品行が所望され、そこにオーナーの騎士たる勲章が輝くのです。
天賦の、パフォーマンスと英知が薫る、リーダーシップの余裕。スポーツマン、J。







約束。

カレンダーも残り僅かになると、何気なく、使い込んだ手帳をめくり返す。
始めは丁寧に、いつしか乱雑に、アレコレ記された些事を眼に、今年は、どれだけの事を成し遂げたか、と自分に問う。約束。
はたして、英国人は、子供の頃から、一年の、そして毎日の、予定表作りを設けられ、それこそ、クリスマスにジャガーを!という目標から、今週は誰それに手紙を書く、といった茶飯事までを遵守する。
一方、こちらは、予定は未定であり、とりあえずであって、就中、自分との約束は曖昧にしてしまう、不甲斐なさ。
ジャガーを待つ、という初心。
これだけは、真新しい手帳の1ページに、わが胸の中に、約束のJマークを、堅く印すことにする。



システム

ジャガーという車は、普通に言うところの高級車、ではない。
高級な生活を支え、守るためのシステムなのです。
例えば、エンジンを見ても、その役割は、必要にして十分な力だけを与えながら、あくまでもスムーズたることであり、決して自身の存在を誇示しようとしない。
言い換えれば、車の裏方の本分に徹し、ドライバーが求めるだけのレスポンスを、過不足なく与えて、第一線の乗り心地を約束するのです。
苛酷な、アスファルトの上と社会で起こる現実を遮断することで、乗員を、常に変わらぬ心地よい世界に導く。
英国が定義する、高級車の、流儀と文法、ジャガー。





年齢とともに、似合っていくもの。J

ビキュナーという名の繊維がある。
南米のアンデス地方に生息する同名の動物を用いた毛織物で、その希少性と肌ざわりで、上質カシミヤの上をいく最高級マテリアルとされ、外套やショールなどに使われる、という。

さて、イニシアルJの冠をもつジャガーを、着るように乗る車、と称した人がいますが、けだし言い得て妙。
これはまた若い分際でカシミヤの上着を着ても、どこか無理があるように、クルマとて分相応、というものでしょう。
歳月が培う年輪の中で、目標とする車に近づく自分の姿を見い出すのは、かけがえのない励みでありませんか。
ときに日本で手に入るジャガー車は4種。ちなみに、ジャガーがピュア・カシミヤなら、写真のデイムラーは、かのビギュナーでしょうか。
70歳になっても、ハンドルを握っていたい、J。



アントレプレナーの、J。

さて、ジャガーという車は、一筋の勇気、または度胸を乗り手に要求する。
周囲の視線をおのずと浴びて、毅然とした態度と優しい眼差しを示すことができる、男たち。
そういう、少しオーバーに言えば、人生の修羅場をかいくぐってきた、そして、ビジネスの最前線に立つ企業家精神の持主、いわばアントレプレナーにかくも似合うのである。
精悍にして、重厚。繊細にして、かつ大胆。
そんなプロフィールが、この車をもつ、どこか非凡なプロポーションとフォルムに重なり合ってその魅力は、余人をもって代えがたい。
ところで、中世のイギリスを発祥の地とするゴルフというスポーツは、周知のとおり、プレーヤー自身が審判員である。
正義感とフェアプレーの精神に立つ、たゆまぬ自己への研鑽は、この車をもつオーナーならではの名義であり、また冥利であろう。
だからこそ、今、ジャガーを駆る、しなやかな男たちは、Mr.Jと、称賛をこめて呼ばわれるのだ。アントレプレナーの、J。




マイナーが、メジャーです。

文学でも、音楽でも、演劇でも、スポーツでも、人びとのこころを感動させてきたものは、ビックな名前のチカラでなく、小さくても、ほとばしるエネルギーの密度です。
人間の感情の微微、デリカシーに触れることのできるのは、量でなく、質。
クルマだって、そうです。イニシアルJの冠をもつジャガーが、その生産量こそ限られた数であるのに、明らかに、それ以上の印象と存在をアピールし続けている、事実。
ここに、まさしくジャガーをして、マイナーがメジャーです、と言わしめる所以があるのです。
世にあまたあるクルマの群れの中で、自らの個性とアイデンティティーをすくっと掲げ、時代の風潮や流行に、媚びない。
控え目な高級感と、さりげない存在感で、きょうも、来たる主人を静かに持っている、J。





伝統の高性能と吟味しつくされたウッド&レザー

ジャガーは、まぎれもない高級サルーンだ。が、その性格は他と異にしている。
それは、乗り心地や快適性の高級は言うに及ばず、スポーティさを重んじている点だ。
低く流れるようなボディ。革張りのドライバー席も応接間ではない。
姿勢をきちっとした状態のみ、しっとりと身体をホールドしてくれる。
それゆえ、ポジションの設定は微妙な調整を要する。
電動のマルチアジャスト機構は、このために備わる、いわば必需品なのだ。
ソフトな乗り心地は、高級サルーンの中でも一級品だ。
自分で運転する他に、後席でくつろいだことがあるが、ジャガーのサスペンションの味には優美さを感じた。




連載 『”ジャガー”』

ジャガーに乗ると必ず、気持ちがだんだんやわらかになってくる。
それは、このジャガーというクルマのハードウェアの性格が本質的にやわらかいせいだ。
そういうジャガーの論理が知らずのうちに僕の心の中にも浸透してくれたことの結果なのだ。
 僕の所有する4.0g 版では、225PSという十分尊敬に値する最高出力を与えられながら、ジャガーというクルマには、ことさらに高性能というイメージが、一般にも、そのクルマの所有者にもない。
そして、そのイメージは、僕に言わせれば正しい。
 実際のジャガーは、触媒つきの仕様でも220km/hを上回る最高速を達成することが可能だし、八秒台の0-100km/h加速もやってのけるクルマである。世界的な高性能高級車と呼ばれて、なんら恥じるところはない。
それなのに、そういう高性能車としてジャガーを評価する人は少ない。 
で、それでいいのである。 
 
たまげるほど速いとか、メルセデス・ベンツなんかメじゃないぐらいボディがガッチリしているとか、有無を言わせぬ迫力があって頼もしいとか、そういう種類の言葉で語られるべきクルマではないからだ。
 ほんの百メートルも走ると、そのことはたちどころにわかる。
 アクセルレーターを踏む右足がどんなに気ぜわしく動いても、ジャガーは少しも動じない。
いつものように、じんわりおだやかなマナーでクルマを前に押し出していくだけだ。
トルクの出方が、そうしつけられている。ほかのクルマとは育ち方が違うんだとでも言いたげに、いつだって慌てない。
 乗り心地は,重量級の戦車のように道をローラーでならしていくかのごとき重々しさをもって乗員を満足させる流儀のものではない。<柳に風>のしなやかさである。
傷んだ道路のコブやくぼみを、押さえつけるというよりは、受け流してしまう。

言ってみれば、道の不整と戦ってそれに勝つというのではなく、戦いに持ち込まない―そういうやり方だ。
 だから、運転している自分が、ひときわゆっくりと、かつ繊細な動作をしていることに、やがて気がつく。
その姿を誰かが見ていたら、この人はおだやかで品のいい人だと思うような、そういう運転になっている。
そして、誰もみていなくても、自分のなかにこんなにこまやかな面もあったのかと知って、うれしい驚きを味わうだろう。
 ジャガーがエレガントなクルマといわれるのは、だからである。単にかっこいい外形スタイルのせいだけではないのだ。
 
すべての道具には、その道具に固有の論理がある。
モノとつき合うという境地は、実は、本来の機能的目的のためにそのモノを役立てていくということの先にある。
 たとえば、怖いぐらいに鋭い切れ味を示すナイフをいつも使っていれば、僕らの手は柄を通して伝えられるシャープな刃先の感触を、まるで手でじかになぞっているかのように感じ取ることができるようになるだろう。
そういうふうに、こちらの手が変化できなければ、そんな鋭い刃物を扱うことはできない。反対に、切れの悪い、鈍いナイフばかりを使っていれば、手は刃先の感触に対して不感症となり、ひどくぞんざいなモノの切り方を覚えるようになるだろう。
ナイフの感受性のレベルに、手のほうが歩み寄っていくのだ。
 同じリンゴを切るという目的に使ったとしても、二本のナイフがその使い手に与える影響は、このように全然違う。道具の論理とは、そういうものである。
 だからこそ、道具は大切なのだ。
それは、いつの間にか使う人の立ち振る舞いや、ことによると世界観にまで影響を与える。そこに道具の面白さと危険さがある。
 ジャガーはおだやかでやわらかな機械だから、せわしない気持ちに駆られている世の中の他のクルマに抜かれることなぞ、朝飯前といってもいい特技のひとつだ。
抜かれるということは、一般に高級高性能サルーンにとっては何かと不都合なもののはずだけれど、ジャガーに乗っていると、そんなふうには全然考えなくなる。

単に、世の中には急いでいる人がいるもんだ、となる。
 とはいっても、ジャガーだってシャキッと走らせることはできる。僕はジャガーを、ワインディング・ロードで、フォーマル・サルーンらしかなるペースで走らせるのが得意だ。
 そんなとき、このジャガーは大きな図体をしているくせに、ドライバーの操作に敏感に応え、とても軽やかでスポーティなハンドリングを見せてくれるのだ。

ジャガーのサルーンといえばそもそも、伝統的にスポーティな走りにしてきたことを思い出すのは、そんなときである。
 いまのところ、自分のジャガーに対する不満がひとつもない。それは、クルマへの乗り方が昔のようではなくなってきたことの表れなのかもしれない。
メルセデスやBMWに乗っていたときは、どんなときでも、そのクルマの能力を精いっぱい引き出して走っていたものだ。そこがどんな場所であってもだ。けれど、<ジャガー以後>は、そんな走り方はしなくなった。
 ジャガーのやわらかな感受性に、僕の身体と心が歩み寄っていったのだ。
 いまもし、ジャガーが日本のより多くの人の関心を引きつけだしてきているのだとしたら、日本人も変わりたいと思いはじめているのかもしれない。
パワフルだけどかたくなでもある、まなじりを決した生き方ばかりがいいわけではないということを、うすうす感じだしているのかもしれない。
(完)





連載『JAGUAR 物語』

 スポーツサルーンはある意味で”最善の妥協”の結果生まれるものである。
特に技術が現在ほど進歩していなかった時代では、スポーツ性と実用性は二律背反的なものとして、多くの志を持つ技術者たちを悩ませてきた。
ジャガーは数あるスポーツサルーンの中で、この両立が難しい性能面はもとより、スタイリングまでも巧みに融合できた稀有な存在であり、それは、やはり創始者サー・ウイリアム・ライオンズの天性の美へのセンスとビジネス手腕によるところであったといえよう。
 さらに、その才能の成果を輝かしめたのは、時折自ら完成車を運転し、特徴であるスポーティな性格が”妥協しすぎていないか”チェックするというあくなき努力の結果であったのはいうまでもない。
 最近、ある日本の自動車メーカーのチーフ・デザイナーと話していて、面白いことを聞いた。

多分アメリカでの話だったと思うが、そのメーカーが大型サルーンに関するユーザーのアンケートを探ったところ、スタイリングで最も人気が高かったのはジャガーだったという。
「ジャガー」のスタイルは本当に人気がありますからね」
 誤解のないようにつけ加えておけば、そのデザイナー氏の所属するメーカーでは、ジャガーに似たデザインのサルーンを作ってはいない。しかしそれでも、そのチーフ・デザイナー氏はそうおっしゃるのだ。
 つまり、下世話な言葉で表現すれば、ジャガーはカッコいいと、僕らジャーナリストやエンスージアストからだけでなく、一般の人々からも認識されているのだ。
 しかしそれは、決して今に始まったことではなかった。一九五〇年代や六〇年代、あるいは戦前から、ジャガーは常にスタイリッシュでカッコいいサルーンを生み出してきたのである。

<スタイリッシュの極致 SS1の衝撃デビュー>
 遥か一九二二年の昔に、弱冠二十一歳のウイリアム・ライオンズが、友人のウイリアム・ウォルムズリーと二人で、イングランド北東の港街ブラックプールに興したスワロー・サイドカー・カンパニー。
その小さなサイドカー工場がジャガーの前身なのは、あまりにも有名な話である。
 このスワロー・サイドカー・カンパニーは順調に業績を伸ばしていくが、その原動力となったのが、ライオンズに備わった天性の美的センスと、経営としての卓越した企画能力だった。ライオンズのデザインしたアルミボディのサイドカーは実に美しく機能的で、しかも価格も手ごろだったから、サイドカーを求める人々の人気を集めたのである。
(『スタイリッシュの
極意、SS1の衝撃デビュー』へ続く・・・)



スタイリッシュの極致 SS1の衝撃のデビュー

「スタイリングの美しさにはクルマの売れ行きの非常に重要なファクターである」というライオンズのマーケティング哲学は、このころに確立されたといってよかろう。
 そこで実力を蓄えたライオンズとウォルムズリーは、一九二〇年代後半になると、本来の夢であった自動車の分野に進出するが、もちろん最初からコンプリートカーを生産する力はなかった。
彼らはまず、一九六〇年代におけるミニのような存在だった当時の大衆車、オースティン・セヴンに軽快なスペシャルボディを架装する仕事から手をつけたが、これがまた大成功を収め、最終的には三五〇〇台ものオースティン・スワローが生産されることになった。
 そのころには会社名をスワロー・コーチビルディング・カンパニーに変更、さらにより広いワークショップを求めて、本拠を現在のジャガーと同じコベントリーに移した。
 そこでライオンズは、コーチビルダー、すなわちボディ屋から自動車メーカーへの転身を遂げる。SS1と名づけたクーペスタイルのコンプリートカーを発表するのだ。

コンプリートカーといっても、パワーユニットはスタンダード・シックスティーンのサイドバルブ6気筒2.4Lをベースにしたものだったし、自製の低いシャツーには随所にスタンダード社の部品が使われていた。
だから性能的には見るべきものはなかったが、極度に長いボンネットと引き締まったキャビン、それにサイクルフェンダーからなる大胆なスタイリングは、デビューの舞台となった一九三二年秋のオリンピア・ショーを訪れた人々を魅了した。
しかもそのスポーツクーペの数分の一の三百十ポンドにすぎなかったのも、人々を驚かせた。
 前途のライオンズのマーケティング哲学の正しさは、ここでも見事に立証されたのである。

そして一九三四年、ライオンズは自動車部門をサイドカー部門から独立させて、SSカーズ・リミテッドを設立する。
 SS1は、SS90、SS100といった純粋のオープン2度スポーツカーに発展していく一方で、サルーンへの展開も開始された。
SS1には4座オープン、ドロップヘッドクーペ、サルーン、エアライン、サルーンの4モデルが用意され、SS1の小型版というべき4気筒エンジン搭載のSS2にも、似たようなバリエーションが用意された。
<ジャガーの名を持つ最初のサルーンの登場>
 ジャガーの名を持つ最初のクルマが登場したのは、一九三五年のこと。その年の九月に、SSジュガー2・5Lサルーンがデビューしたのだ。
(『ジャガーの名を持つ最初のサルーンの登場』に続く・・・)


ジャガーの名を持つ最初のサルーンの登場

新車のイメージにあった動物名のなかで、戦闘機のアームストロング・シドレー社製のエンジン名にもなっている「ジャガー」に決定した。
 ところで、そのSSジャガー・サルーンのディーラー発表会で、ライオンズは大芝居を打った。
彼は来場者に2.5Lサルーンの予想価格を紙に書かせたのである。その予想の平均値は六百三十二ポンドだったが、ライオンズ自らが発表した実際の価格は、その半分に近い三百八十五ポンドにすぎなかった。
 しかもそれはもはや、スタイリッシュで安価なだけのクルマではなかった。
スタンダード・ベースの6気筒エンジンには、燃焼室設計の権威であるハリー・ウエスレイクと、ハンバーから移籍してきた若いエンジニアのウイリアム・ヘインズの手になる新設計のOHVヘッドが与えられ、2663ccの排気量から生み出されるパワーはサイドバルブ時代の70PS/4000rpmから、ツインSUキャブレターによる102PS/4600rpmへと、飛躍的に向上していた。
 
その結果、SSジャガー2・5Lサルーンは4段ギアボックスを介して138km/hの最高速をマークするという、当時の水準では十分に高性能なサルーンに生まれ変わっていた。
 すでにダッシュボードには磨き込まれたウォールナットパネルに覆われ、タコメーターをはじめとする完備したインストゥルメンツを標準で備え、内張りにはレザーがふんだんに用いられていた。
スタイリッシュにして装備豊富、しかも高性能、そのうえライバルに比べて割安であるという伝統的特微は、ジャガーの名を与えられた最初のサルーンに早くも実現されていたのだった。
 一九三七年秋には4気筒1776ccのSSジャガー1.5LサルーンもOHV化されたが、同時に6気筒サルーンに3.5L版が追加された。
これはSS100スポーツカーと共通のOHV6気筒3485CC、125PSユニットを搭載、SS1/4マイル(0〜400m)加速を19・4秒で走り切り、最高速度148km/hに達するパフォーマンスを持つ、押しも押されもせぬ高性能スポーツサルーンであった。
 3.5Lの価格は四百四十五ポンドだったが、それでもまだ、同時代のベントレーの三分の一以下にすぎなかった。
 それ以降、SSカーズは1.5L、2.5L、3.5Lの各サルーンとドロップヘッドクーペ(カブリオレの英国式呼称)、および2.5Lと3.5LのSS100スポーツカーをカタログに載せ、英国の自動車界に不動の地位を占める立派なメーカーに成長していった。
 ヨーロッパに第二次世界大戦の戦禍が広がると、SSカーズも一九四一年には自動車の生産を中止し、他のすべての自動車メーカーと同じく、航空機のボディや軍用4WDといった軍需生産に従事した。
その時に得た航空機技術のノウハウが、後のDタイプ・レーシングスポーツに生かされるのは興味深い話である。


初の戦後型サルーン、マークVのエレガンス

 終戦直後の一九〇五年、SSカーズは社名をジャガー・カーズ・リミテッドに改めると同時に、早速、乗用車の生産を再開した。
 ヨーロッパの自動車メーカーの大半がそうだったように、最初に手がけたのは戦前型をわずかに手直ししただけのモデルだった。
最初に生産が始まったのは4気筒の1.5Lサルーンで、6気筒の2.5Lと3.5Lサルーンがそれに続き、さらに6気筒モデルにはドロップヘッドクーペも加わった。
社名の変更に伴って車名も単にジャガーと呼ばれるようになり、それに呼応してボディからSSの文字が消滅したことなどが、戦前型との目に見える違いだった。
 と同時に、主にアメリカ輸出を考慮した左ハンドル仕様が設定されたのも、戦前型にはない特徴だった。
 一九四八年秋になると、初の戦後型サルーンであるマークV(ファイヴ)がデビューする。
4ドアサルーンと古典的なドロップヘッドクーペの二種類があるボディは、戦前型の面影を残しながらもヘッドライトがフェンダーに埋め込まれるなどのモダナイズが施され、過渡的なスタイルだが独特のエレガンスを放っていた。
シャシーは一新され、新設計のラダーフレームに、縦置きトーションバーによるダブル・ウォッシュボーン式前輪独立懸架と油圧ブレーキという、戦前型にはなかった新しいメカニズムが備わっていた。






ジャガーを愛した男たち

ジャガーをこよなく愛した男が昨日帰らぬ人となった。
まだ、若すぎる死、一家で3台、英国の文化に見せられ、歴史に見せられ、そしてジャガーに見せられた男、長きにわたりジャガー販売店の店長を勤めたその男が永遠の眠りについた。
彼に敬意を称したい。ジャガーでなければ、知り合うことは無かった。
私は、高速で雪の中を拭えぬ涙を流しお通夜に向かうジャガーと共に。




新しく生まれ変わる、何もかも。

それは、人の目を一瞬で引きつけるか。
それは、どんな時でも魅力的か。
それは、パーフェクトと言えるものか。
それは、スピードがあるか。美しいか。
それは、注目されるか。主張はあるか。
それは、大胆であるか。
それは、至極の価値があるか。
それは、最初の5秒で願望をみたしてくれるか。
それは、独特であるか。

           それは、NEW Fashioned Luxuryであること。
           これは、他のどのクルマにも当てはまらない。
 
           そう ジャガーだけが、言えることである。

  
             〜New Fashioned Luxury jaguar2006より〜


車を愛する男たちのロマン

第1回ル・マン24時間レースが行われたのは、1923年のことである。
日本は、まだ大正時代。アメリカでは、アル・カポネが活躍していた時代
に、ヨーロッパではすでに24時間、車をぶっとばしてその性能比べをし
ていたのだから、驚く。
パリ南西200キロのル・マンの地がなぜコースに選ばれたのか・・・・
恐らく、ユーノルディエールの6キロにわたる素晴らしい直線コースと
ル・マン市街にまで深く入り込んだ放射状の道路が、当時の平均時速
100キロほどの性能の車にとってぴったりのレースコースだったに違いない。
ル・マンは、24時間耐久レースに出場しているドライバーやメカニックたちに
とっては大変なサバイバルゲームだが、観客にとってはうれしいお祭りのよう
なものだ。ル・マンが1回のレースで最大の観客動員数を誇るスポーツカー
レースの頂点に位置していることは間違いない。
ル・マン24時間耐久レースは依然として、世界最大のレースと呼ぶに
ふさわしい歴史の重みと伝統を持っている。また、それゆえに、車を愛する男たちのロマンをかきたてつづけているのである。ワークスという概念がそれほどはっきりしていなかった時代から、なぜかル・マンの歴史はメーカーの歴史でもあった。それは、24時間の長丁場にあって、一人や二人の天才ドライバーではどうにもならないほどメーカーの優秀がはっきりとでてきてしまうからに違いない。
そこに大衆はメーカーの実力というものを敏感に嗅ぎとったことだろう。例えば1920年代のヒーローは、排気量の増大に挑戦しつづけたベントレーであり、30年代はスーパーチャージャーを完成させたアルファロメオの時代だった。40年代にはフェラーリが頭角を現し、50年代はジャガーが制覇した。 この時代、ジャガーはCタイプ・Dタイプといういずれも最先端をいくマシンを相次いで登場させ、3年連続優勝というル・マン制覇を遂げたのである。それは、まさにジャガーの黄金期であった。
60年代の覇者は、フェラーリだった。フェラーリは60年から65年まで、末路の6連覇を達成して他を圧倒した。後半は、7L の怪物マシーンと8台エントリーの物量作戦でル・マンをねじ伏せようとしたフォードが暴れまわった。フォードはフェラーリのあとを継ぐように4連勝したのである。
70年代、フランスのマトラ・シムカがF1用のエンジンを搭載して、ようやく地元にル・マンの栄光をもたらした。フランス最高の耐久ドライバー・ペスカロロは、72、73、74年とマトラで勝って、史上2人目の3連勝男となったのだった。
80年代に入るとまさにポルシェの天下となり、81年から87年までポルシェが耐久レースの王者に君臨した。しかも1位から7位まですべてポルシェといった圧倒的な勝ち方をすることもあった。そこへ1985年、トム・ウォーキンショーとともにツーリングカーからプロトタイプカーレースにカムバックしてきたのが【ジャガー】だった。ジャガーは1987年には、世界スポーツプロトタイプカー耐久選手権を圧倒的な強さで制覇した。そして88年、遂にル・マン24時間をも制したのだった。実に31年ぶりのことである。
なぜ ジャガーは勝てたのか?

この大きな問いに、もし一言で答えなければならないとすれば、それはジャガーの【執念】ということになるだろう。
もちろん、レースは執念だけで勝てるほど甘くはない。ただ、数多くの勝因の中のひとつでも欠けていれば、それだけで十分に敗因となったろうと思われる要素の中で、最後まで絶対に欠けてはならなかったのが、この何としても勝ってみせるという【執念】である。
その【執念】を徹底的にチームにたたき込んだ男が、当時の総監督のトム・ウォーキンショーである。
彼が目指したのは、一人ひとりのスタッフが、プロフェショナルとして完璧に与えられた役割を果たすこと。チーム全体が、あたかもひとつのマシーンのように、完璧に機能すること・・・
だった。  彼は、ジャガーのスポーツプロトタイプカー・プロジェクトを手がけるに当たって『4年間で勝利をつかんでみせる。』と宣言していたが、この執念とチームづくりこそが大きな勝因となったことだろう。
この執念は、ドライバーやメカニックへの厳しいリクエストとなって現れ、それがまたスタッフのやる気と実力を引き出し、ジャガーの性能全開へとつながっていったのだと思う。
ル・マンでの勝利によって、ジャガーははっきり時代の覇者として蘇ったといっていい。
ル・マンの勝利  『すべてのジャガー関係者の努力の集大成』 であった。
新しいジャガーの時代を象徴するものとしてこの勝利は永く記憶にとどめられることだろう。 


車を愛する男たちのロマン 【ジャガー】
1950年代のジャガーはル・マンに圧倒的に強く、51・53・55・56・57年と、なんと5回も勝利を重ねていたのだ。1957年のル・マンは、50年代のジャガーの活躍の最後を飾るレースなのであった。
 1948年秋に高性能スポーツカーのXK120を発表したジャガーは、戦前とは一転してモーターレースに積極的に取り組む方針を打ち出した。その結果、彼らは51年にXK120をベースにしたレーシング・スポーツカーのCタイプを開発、早速その年のル・マンに4台を送り込み、そのうちの1台が見事デビュー戦で優勝を果たしてしまう。
こうしてジャガーの活躍が開始された、。翌52年はボディ改造の失敗からオーバーヒートを招いてCタイプは全車リタイアに終わるが、続く53年のル・マンでは再び1,2,4,9位を占める活躍を示した後、翌54年にはCタイプの後継車たるDタイプが登場する。
マグネシウム・パネルを使った軽飛行機のようなモノコック構造を採用し、ライバルたちより遥かに軽量で空力的なシャシー/ボディを備えたDタイプは、当時のレーシング・スポーツカーの水準から見ると、素晴らしく進歩的な車であった。標準仕様のエンジンはXK120から発展させたDOHC6気筒3・4Lで、そこから発生される250psというパワーはライバルと比べて特に強力なわけではなかったが、先進的なシャーシー/ボディを効率良く使い切ることによって、より排気量が大きくパワフルなライバルを凌ぐ実力を示したのだ。他のメーカーに先駆けて、Cタイプの後期からすでに4輪ディスクブレーキを採用していたのも、ジャガーの先進性を示していた。
Dタイプはデビュー戦の54年ル・マンでこそ、1台の4、9Lのフェラーリにわずか5kmの遅れをとって2位に甘んじたものの、続く55年・56年と勝利を重ね、いよいよクライマックスの57年を迎えることになる。
ジャガーは前年の秋にワークス・チームとしての活動を中止していたから、57年のル・マンに出場した5台のDタイプは、すべてプライベートエントリーの車であった。ただしそのうちの3台、英国の名門チームであるエキュリー・エコッスが走らせた車は、コヴェントリー仕立ての事実上のワークスカーで、さらにその中の2台は、3、8Lの燃料噴射エンジンを搭載していた。
対するライバルは6台のワークスV12を含む10台ものフェラーリ、2台のワークス4・5L V8を始めとする多数のマセラーティ群、それに3台のワークス・アストン・マーティンといったところで、1・5L以下にはポルシェやロータスも顔を見せていた。
 そんな中で最初にレースをリードしたのは2台のフェラーリだったが、それが順にトラブルを発生して遅れていくと、今度は巨大なマセラーティがトップに立った。
しかしそれも長くは続かず、間もなくフロックハート、ビューブ組のエキユリー・エコッスDタイプがトップに浮上する。
真夜中にはアストン・マーティンの1台がそれを迫っていたが、やがてそれはクラッシュで戦列を去り、明け方までにはDタイプが1〜4位を独占、トラブルで遅れていたもう1台も徐々に失地を回復してきた。
そして結局24時間後の6月23日午後4時には、Dタイプが1、2、3、4、6位を占めるという、ジャガーの大勝利が達成されるのである。
 これはDタイプにとって55年、56年に続く3連勝であり、エキュリー・エコッスとそのドライバーである偉大なるアマチュア、フロックハートにとっては2年連続のル・マン制覇であった。
なお、4位のベルギー・チームのDタイプを駆ったドライバーの一人は、現在もジャーナリストとして活躍するポール・フレールだったのが興味深い。
  


幻のレーシング・ジャガー
1960年代の半ばに、ル・マンで勝つことを目標に開発され、それを達成できなかったばかりか、一度もレースを走ることさえなかった悲運のレーシング・ジャガーがあった。
ジャガーは1950年代に、CタイプおよびDタイプによって5回もの勝利を記録したが、その原動力となったDOHC6気筒エンジンが50年代後半にはすでにコンペティティブでなくなってきているのを自ら実感していた。そこで彼らはル・マンで勝ち得る全く新しいレーシング・スポーツを計画、1960年前後にその開発に着手した。
‘XJ13’と呼ばれたこの車のために開発されたパワーユニットは、4カムシャフトのV12気筒5Lで、87o×70oのボア・ストロークによる4994CCから502PS/7600rpmの強力なパワーを絞り出した。実はこのV12こそ、今日のXJR12のパワーユニットの直径の祖先に当たるエンジンなのである。
 しかもこのエンジンは、それ以前のジャガーとは異なり、当時レーシングカーの主流になりつつあったミッドシップに搭載された。だが市販モデルの開発に追われてXJ13の開発は大幅に遅れ、その最初の1台が完成したのは1966年のことだった。となると1967年のル・マンで死闘を繰り広げるフェラーリ―とフォードの間に割って入ることが目標となったが、悪いことにその時期にBMCとジャガーの併合問題が浮上、レーシング計画はしばらく棚上げとされて、XJ13は開発部門の一角で惰眠を貧ることになった。
しかも当時、6気筒を搭載したEタイプの販売はきわめて好調だったから、ジャガーの総師サー・ウィリアム・ライオンズは、彼らが12気筒エンジンを開発ずみであることが外部に発覚することを恐れ、XJ13をサーキットで走行テストすることを禁じてしまった。
 ところがその禁止令は、XJ13を熱愛するひとりの男によって破られた。
当時のジャガーのチーフ・テストドライバー、ノーマン・デイヴィスである。

XJ13を走らせたいというデイヴィスの訴えを受けた開発部長のビル・ヘインズは、「私もあのクルマを走らせるべきだと思う。事がライオンズ卿に知れた場合に君が責任を取るというなら、MIRAでテストしたまえ」と認可を与えた。
こうしてある日曜日の早朝、英国自動車工業会所有のMIRAテストコースにひそかに運び込まれたXJ13は、4カムV12エンジンの咆哮も高らかに、デイヴィス自身の操縦でバンク付きのコースを走り始めた。やがてXJ13は5速ギアで時速175マイル(282q/h)というトップスピードを記録、その後、そのハイ・パフォーマンスを立証してみせた。
その数日後、デイヴィスは意を決してライオンズ卿にそのことを電話で報告した。しかしライオンズ卿からとがめの言葉はなく、その2週間後にXJ13は再びMIRAに運び込まれたが、その時そこにはサー・ウィリアム・ライオンズの姿もあった。
彼はXJ13に対するデイヴィスの熱意に打たれたのである。
 2度目のテストで判明したのは、パフォーマンスは十分だが、操縦性には多くの改良が必要だという事実だった。ライオンズ卿はデイヴィスに開発続行の許可を与えた。ただしそれらはすべて週末を使ってやるように、という条件付きだった。
デイヴィスと彼のチームがそれから1年間、日曜日の多くをMIRAで過ごしたのはいうまでもない。

 開発が進行したところでXJ13はシルヴァーストーン・サーキットに運び込まれ、上々のラップタイムをマークしてみせた。しかしそれでもライオンズ卿からのOKは出なかった。ル・マンに勝てるという確信が得られるまで、XJ13をレースにエントリーしないというのが、総師の強固な意志だったのである。
しかも、それ以上XJ13の開発を続行すると生産車の開発作業がおろそかになるという理由から、XJ13は再びお蔵入りになってしまう。
そのまま開発を続行すれば、フェラーリP4やフォードGT40を打ち破られると確信していたノーマン・デイヴィスらにとって、この決定は心から悲しむべきものだった。
それでも彼らの努力は無駄にならなかった。XJ13のために開発されたV12エンジンはヘッドをSOHC化すると動じに排気量を5343ccに拡大して、1971年からEタイプに搭載されることになったからだ。
だが皮肉なことに、ノーマン・デイヴィスとXJ13にとっての最後の悲劇的なドラマは、このEタイプV12のプロモーションのためのムービー撮影のときに起こった。その日1971年1月20日、XJ13は実にしばらくぶりにMIRAに運び込まれ、撮影のために朝から何度となくそこを高速で駆け抜けた。そして最後の最後にドラマは発生した。
その日を回想してデイヴィスはいう。
『朝から走り回った末のことだった。最後にあと1ショット撮るから、コースを5ラップだけしてほしい、とスタッフに頼まれたのさ』
その5ラップも最後に差し掛かったときのことだった。
バンクの頂上付近を時速140マイル(225km/h)で疾走していたXJ13は、突如コントロールを失い、インフィールドに向かって凄まじい勢いで落ちていった挙句、2回スピンした後、さらに2回転して止まった。
とっさにイグニションを切って低くうずくまったデイヴィスは大事に至らずにすんだが、クルマのほうは完全に破壊されていた。
 原因は、バンクで発生する強烈な上下方向のGに耐え切れなくなったリアホイールが破損したことにあった。
この車は2年後にレストアが開始されて、この世にたった1台しかない流麗なシェイプを取り戻した。
だから今もコヴェントリーのジャガー本社のミュージアムに足を運べば、その精悍な姿を目にすることができる。

英国人

英国人は一般にたいへんシャイである。友人によると、初対面の英国人の間には見えない心理的なバリアがあるのだが、それが破れるきっかけがふたつあるという。
ひとつはオールド犬であり、もうひとつはオールドカーだという。散歩中にまず犬たちが尻尾を振って親愛の情を表し、それがきっかけで主人同士も口をきくというのが、古典的なパターンである。同じように、古い車が出会うと、オーナーたちはひそやかな愉しみを分かち合うもの同士のよしみで、たちまち百年の知己のように打ち解けるのだ。これがまったくそのとうりであることを、ぼくは経験から確信を持って言うことができる。


ジャガーとともに・・・

思えば私の人生は愛車【ジャガー】と共に歩んできたと言っても過言ではない。どんなときも、そこに【ジャガー】がいた。
何十年後かに私の子供が自分の子供を持ったとき、この『お祖父さんのジャガー』に孫を乗せるだろうか・・・
これから先の人生も愛車【ジャガー】とともに歳をかさねてゆきたいと思う。


マークZ 

戦後、スポーツカー・メーカーとしてのジャガーのイメージを創ったのは1948年に発表されたXK120だったが、その2年後に今度は、今日のXJに受け継がれる高級でスポーティーなサルーンのイメージを確立する車が登場した。マークXに続く2代目の戦後型ジャガー・サルーンとして1950年秋のロンドン・ショーにデビューした、マークZ(セヴン)がそれであった。
マークZのボディはホイールベースが3mを超える堂々たるもので、いかにも英国の大型サルーンらしい長いボンネットを持つクラシカルなプロポーション。そして流れるようなラインから成るスタイリングは、ジャガーの名に相応しい流麗な美しさに満ちていた。しかしそれは単にスタイリッシュなだけの高級サルーンではなかった。
縦長の繊細なラジエターグリルに向かって長く伸びるフロントフードの下には、XK120と共通のDOHC6気筒3.4 160psエンジンが搭載されてされて、この大型サルーンに極めてスポーツライクなパフォーマンスを与えていたのだ。実際は、マークZは、当時の大型サルーンとしてはかなり高性能なクルマで、標準仕様の4段マニュアル・ギアボックスを駆使してフル加速に移ればSS1/4マイル(0−400m)を19.3秒で走りきり、最高速は166km/hに達した。マークZは、ジャガーの目論みどおり英国のみならずアメリカ市場で好評をもって迎えられ、XK120と同様に多数が大西洋を渡っていった。そこで後に2段オートマチック・トランスミッション仕様が追加され、さらにはレイコック制のオーバードライブもオプションで選べるようになった。そして1954年秋には、パワーを190psに強化したMタイプが登場、その高性能ぶりにますます磨きが掛けられることになった。
 いかにもジャガーらしいのは、この堂々たるサイズのプレステージ・サルーンが、積極的にコンペティション・フィールドに討って出て、しかも機多の輝かしい戦績を挙げたことだろう。
まず、サーキットでは、1952年にスターリング・モスの操縦で地元英国シルヴァーストーンのツーリングカー・レースに登場、そこで見事に勝利を記録したのを皮切りに、同じイベントで1956年まで5連勝を果たすなどの華々しい戦績を残した。
 さらに同じ頃、マークZは国際ラリーでも少なからぬ成功を収めていた。中でも特記すべきは、冬のヨーロッパのクラシック・イベント、モンテカルロ・ラリーだろう。ジャガー・マークZはそこに50年代前半から参戦、幾度となく上位に食い込んでいたが、ついに1956年には念願の総合優勝を手にする。
この年ワークスのサポートを受けた4台のマークZがモンテに出走したが、スコットランドのグラスゴーをスタートしたロニー・アダムスの峻険をカウンターステアに次ぐカウンターステアで誰よりも速く駆け抜け、ジャガーにモンテカルロでの初勝利をもたらすのである。
因にこれは、英国車と英国人ドライバーの組み合わせとしては、史上4番目のモンテ・ウィンであった。
 こうしてマークZは、たとえ堂々たるプレステージ・サルーンであっても極めてスポーツライクな性能を備えているというジャガーのキャラクターを幾度のレースやラリーで立証して、1957年に現役を退く。そしてこの伝統は、次世代のよりコンパクトなジャガー・サルーン、いわゆるマークU系に一段と強力に受け継げられるのである。

イギリスの名車たち

綺羅星の如く、輝くブランドが今もある。ロールズロイス、ベントレー、ブリストル、アストンマーティン、ディムラー、モーガン、ジャガー、ロータス、ランドローバー、TVR、ローバー、ミニ、etc。厳密に孤立した民族資本こそ少ないが、相当な数である。
さらに、今はなき、MG、オースチン、モーリス、トライアンフ、ライレー、ヒーリー、ウーズリー、リライアント、マーコス、AC、アラード、etc。とてもじゃないが数え切れないほどのブランドがブリティッシュカー史上には存在していた。自動車そのものの発明では、ドイツ人とフランス人に先を越されたものの、イギリスには産業革命があり、蒸気機関があった。いわばイギリスという小さな島国は、動く機械を作り出す精神と技術力において、世界でも一級の”ハイテク工場”であったわけだ。

そのことは、数え切れないほどの自動車ブランドを、いわゆるバックヤードビルダーたちが支えたという事実がよく物語っている。マテリアルとツールを裏庭で展開し、自動車を作り上げていくという高度なDIY。自動車産業に夢を見た若者たちが、今で言うところのカーメーカーへ入りたいという気持ちと同じくらいの希望の大きさで、自分の名前を関したクルマを作りたいと言えた時代であり、実際にそこから多くの名ブランドが生まれたものだった。
しかもそれが、ある階級に独占されたものでないことに、ブランド名を追ってみると分かるはずだ。つまり、ミニからロールスロイスまで。庶民も王侯貴族も、自動車という新しい時代の移動手段に熱中したことが、これほどまでに多くのブランドを生んだのだ。
よく似た現象が、ここ日本にもある。小さな島国に多くの自動車ブランド。中身は多少違うけれど、自ら動きたいという欲望は、ハコが小さいほどに刺激されるのだろうか。

ジャガーと共に・・・

 私の個人で所有するジャガーはすでに、14万キロを超えている。いつの間にこんなに距離を乗ったのかとふと思う。ジャガーで行ったあの場所、風景、時間、そして流れていた音楽・・・ そう、ビートルズかプレスリー。ある時には誰かと、ある時には一人でこのシートに包まれていたのだ。飽きっぽい私がよくここまでこの車と付き合っていたものだと思うと一寸した充実を覚える。「どうしてだろう、こんなにも愛着を自動車という機械にもってしまったのは。いや、この車は機械ではないのだ。私の人生を、成長を共に歩んできたパートナーなのだ。」・・・・そう思わせてくれるのも手作り感のあるジャガーの魅力なのだろう。私は今まで何台かの車を所有したが、工業製品と呼ばれる日本車やドイツ車では味わえなかった独特の魅力があるのだ。時の流れのなかで色褪せることのない英国の伝統。ジャガーの放つそのオーラ、存在感、ステイタス、そして、余裕。

さて、今日は本年最後の業務である。私はいつになく充実している。それは幾度の紆余曲折を打破し、難局を乗り越えてきたという達成感があるからだ。

ジャガー、もっと走ろうと私の命が叫ぶ。そして明日、故郷への岐路へつく。孤高のジャガーと共に・・・

JAGUAR

同じネコ科の豹と同じように語られているジャガーだが、実は最大で全長1.8m、体重は130Kgに達する大型獣である。ジャガーの狩りは他のネコ科肉食獣とは異なり、アゴの強さを活かしていきなり獲物の頭部を噛み砕いてしまうという乱暴なもの。【JAGUAR】という呼び名はアメリカン・インディアン言葉の【YAGURA】から派生したという説が一般的。その意味は(獲物を一跳びで仕留める獣)である。正にジャガーの激しい狩猟風景を表現したものだ。

ジャガー・カーズの歴史を辿っていくとスワローサイドカーカンパニーというメーカーの名前が出てくる。1922年、ウイリアム・ライオンズとその友人のウイリアム・ウォームズレイが起こした社会で、まだクルマが高嶺の花だった時代に大衆向けサイドカーの販売で世に打って出たのだ。彼らはほどなく四輪車の開発にも着手。スワローサイドカー社は1935年のロンドンモーターショーで初めてのジャガーブランド車を発表した。広告戦術にも長けていたライオンズは、フルオリジナルの新型車には新しいブランドを冠したいと思い、猛獣の名称の中からジャガーを選んだという。
今やプレミアムカーの代名詞にもなっているジャガーブランドだが、その歴史はモータースポーツと共にあったと言っても過言ではない。1951年ル・マン24時間レースに初めて挑戦していきなり優勝を飾ったジャガーは、その後のスポーツカーメーカーとしてのポジションを磐石なものとしていく。

動物のジャガーはアメリカ大陸では最大のネコ科肉食獣。生息域が熊などと重ならないので天敵がいない。ジャガーは結果的に食物連鎖の頂点に君臨することになる。ジャガーは最高だ。

ポテンシャルを秘めるJ

ビジネスの席で一流のスピーチができて、クラブを握ればシングルの腕前である。年齢はそんなに若くはないけれど物静かなルックスの内側に、しなやかな体力を備えている。
だが、そんな能力をおくびにも出さない。新しいジャガーを人間にたとえると、まさに、IQもEQも高く、育ちのいいスポーツマン、という気がします。数値だけでは名状し難い魅力。それは、サッカー、ラグビー、馬術、ボート、テニス、ゴルフ・・・と幾多のスポーツの発祥地である英国を父祖として輝くモータースポーツの歴史を担ってきた車・ジャガーゆえの天賦でしょう。優雅にして、気品あふれるスタイリングと、さらに研ぎすまされた、パフォーマンス。21世紀の意識的なシーンに、紳士の範、英国のスピリットを。ポテンシャルを秘めるJ。

左右。

毎年のことながら、師走には、特別の感慨が身をよぎる。振り返れば、長いようであり、短くもあった、この半生。受験から、就職。そして結婚。
淡々と去った歳月にも、岐路に立った、幾度かの節目。
左右。思えば、人生は、選択の連続であり、クルマも、また、然り。
ジャガー。この記憶は、存在は、別格であって、どの車のハンドルを握っていてもわが心の畏敬であり続けてきた。さて、よく言われる、倫敦の地下鉄駅のエスカレーターでは、右側に立ち、左側は急ぐ人のために空けておく、という暗黙のルール。
このデンで言えば、私も、駆け抜けてきた速度を緩め、もう、右側に落ち着いてもいい。そう、かの、ジャガーと一緒に。

モータリストの心をとりこにするもの

競うということとは次元を異にするスポーツを愉しむために存在する車がある。
パワーの深さを堪能する。ダイナミズムに漂うエレガンスに頬を弛ませる。
その類い稀なる走りの贅に浸りながら、至福の時を過ごす。
サルーンであることの品位。ジャガーであることの誇り。
このスポーツサルーンが発する究めるほどに尽きせぬ魅力、J

室内美学。それは走りの論理として。

ダイナミック且つエレガンスなパフォーマンスを正確に操る為の虚飾を排したインテリア空間。

論理的な配置がなされた包まれたコックピットの機能性と美意識。

まさに生粋のブリティッシュネスサルーンに相応したものだ。私はこれに身を任せたい、一方ではスピリットを鼓舞する為に、一方では心和むリラクゼーションの為に・・・・・私のJ

ジャガー、レーシングの由緒正しき継承 XJR

久しぶりに晴れた土曜日、クルージングに私は一人出る。

ジャガーのスポーツの伝統と栄光が生んだこの類稀なドライビングパフォーマンス。

イートン製スーパーチャージャーV8 406馬力のパワーとエンジニアリングの枠を結集したシャシーチューニングが相まって具現化された最高峰のその走り。

希求していた、モータリングの真の歓びをすべて満たしてくれる。ドライビングプレジャーJ

英国高級車の正統を歩み、ジャガーは一貫して美と走りに情熱的な品位あるラグジュアリーサルーンをお届けしてきた。
ドライバーズシートに身を委ね、モータリングの根源に触れる愉しみを心行くまで堪能したいと思う。

匠の業により革と木が織りなす品位と優雅さ。

優雅で格式あるインテリアの仕上げは、美しいスタイリングや
高性能の走りと並んでジャガーを象徴するもの。
現代では稀有になった英国高級車の伝統的なクラフトマンシップを今に受け継ぐジャガー熟練技術。

柔らかな皮革は匠の目によって選び抜かれたもの。
ウォールナットウッドのみがきは手組みによって連続性を出し、その艶やかな光沢はグランドピアノの表面仕上げにも通じる鏡面仕上げによって磨きだされたもの。
永くつき合うほどに微妙な成熟を重ね、風合いに深みが増す革と木は、オーナーの愛着をより一層深める。
安堵感と解放感で包み込むエレガントなジャガーのキャビン。
喧噪とは無縁の、いつまでもそこに身を置きたくなる空間。匠の業。J

操縦するたびに訪れる深まり。

ビロードのような芝の上で悠々と時間をかけ、ゲームそのものを
優雅に愉しむテニス、ゴルフ、クリケット・・。英国育ちのスポーツは、勝敗の帰趨だけでなくプロセスをより愉しむというスタイルを確立してきた。
このスタイルを通じるのが、単に目的地をめざすのではなく、
目的地に至るプロセスをどれだけ優雅に過ごすかを重んじる
ジャガーのモータリングスタイル。

その愉しみをさらに深めるためジャガーは主要な操縦・走行
メカニズムの多くを新開発。

なめらかなパワーフィールを愉しみながらエンジン性能を自在に
コントロールできる醍醐味。ジャガーのドライバーズシートに身を置けば、乗るほどに尽きることのない充足が得られることだろう。

クラシックとモダンのより深い調和。
ジャガーにおける優美なスタイリングの追及は、
高級車は美しくかつ高性能でなければならないとした
ジャガーの創始者サーウイリアム・ライオンズの
提唱に由来する理念に基づくもの。

だれの模倣でもなく、だれも模倣し得ない、
どこに在ってもジャガーと分かる、

真にオーナーの誇りとなり
愉しみとなる優美さを追求してきたジャガー。

その蓄積から新たに造形されたジャガーのスタイリングは、
これまでのジャガーをも凌駕して、
追随を許さない品位に充ちている。

クラシックとモダンはより深い調和をなし、
トラディッショナルな丸型4灯ヘッドライトと
格調あるグリルから後方に向かって流れるラインは

ジャガーデザインの新しい方向性を具現化している。
またしなやかな躍動感と低く安定感のあるプロポーションは
ジャガーの最新技術によって高められた世界第一級の走りと
卓越した操縦性が求めたデザインであることを物語っている。
ジャガーは、流行の変遷を超越し、
21世紀においても悠然とラグジュアリーサルーンの指標となる
優美さに充ちている。
走りと優雅さの、かつてない深まり。XJ

品位を重んじ、優雅さと親しみ、大いなる人生を愉しむ。
これこそブリティッシュ精神であり、
またジャガーのフィロソフィーでもある。
それゆえにジャガーは、
モータリングを愛好する方々の厚い支持を受け、
常にラグジュアリーサルーンの指標となる地位に
在り続けてきた。
そのジャガーの系譜の中にあって、
XJはジャガーサルーンの本流。
テイストを変えることなく、熟成によって進化を遂げる。
このジャガー普遍の基本理念に基づき、XJは、
ジャガーにおける最も重要な品位はもとより、
技術面においてもさまざまな新技術を拓き、
厳格な品質実験を重ね、
上限を極める完成度を達成している。
遥かな次元の走りに、追随を許さない気品を添えて。
XJ。それは何よりもオーナーの誇りと愉しみのために。

それがセンス!!

貴方が選ぶブランドは?・・・何!?


JAGUAR

そう、それがセンス。

わが家にJが到着する日。

日曜日。いつもより早起きをして、真新しいソックスをはいて、朝から、窓の外ばかり目を遣っている。柔らかな冬の陽だまり、約束の時間は午後と言うのに、まるで小学生の子供がお正月や誕生日を迎えるように、ソワソワ落ち着かない。今まで何度かクルマを迎え入れてきたが、これほど胸が高鳴ったことはない。これが、ジャガーのもつ天性の魔力ともいうべき、魅力だろう。平常心を保つべく、目を閉じ、深く息をするのだが、一向に効き目もなく、家人はクスクス笑っている。どうせ、しがない人生、己に誇れるほどに来た本懐なのだから、一生に一度くらい嬉嬉としても良いだろう。そう納得させ、再びソワソワ部屋の中を行き来しながら、そういえば、家の場合は鍵なのに、クルマはなぜキーというのかな、などと他愛のないことをボンヤリ考える。
お、聴こえてきた、ホーンの音は、まさしく、そうだ。私の、J。




Mr.Jがいる。

Mr.Jというネームから、どんな言葉を連想するだろう。名誉、クラス、傍らに妙齢のひと、ウィットに富んだ会話、羨望、エイジング、洒脱、ノーブレス、オブリージ、そして、野心。いずれを挙げようと、ジャガーを愛し、乗りこなす男たちには、最大級の称賛の辞が待つ。官能的でさえある気品と、様式葵を湛えた、クラシカルなシルエット。室内の作法をみても、この車だけが与えうる得も言われぬ落ち着きとほのかに秘密めいた心地よいテンションが、あたかも英国から渡ってきたアンティーク家具のごとく、乗員を優しくもてなすのだ。極上のウォールナットと、コノリー・レザーのシートやトリムに抱かれ、華奢なほど繊細なセレクターを操り、かのV8エンジンを奏でる。この時ドライバーは、ジャガーオーナ−の1人であることの名誉を、全身で感じ、堪能するのだ・Mr.J
いま、ジャガーを駆る、しなやかな男たちをMr.Jと呼ぶ。






Mr.Jのオーナーには、アントレプレナーが多い。

さて、ジャガーという車は、一筋の勇気、または度胸を乗り手に要求する。周囲の視線をおのずと浴びて、毅然とした態度と優しい眼差しを示すことができる、男たち。そういう、少しオーバーに言えば人生の修羅場をかいくぐってきた、そして、ビジネスの最前線に立つ起業家精神の持主、いわばアントレプレナーにMr.Jが多く、また、似合うのである。精悍にして、重厚。繊細にして、かつ大胆。そんなプロフィールが、この車のボディがもつ、どこか非凡なプロポーションとフィルムに重なり合って、その魅力は、余人をもって代えがたい。
分別という名目のもとに、地位のことも、カネのことも、女のことも、わきまえながら、時折、まだ、世間の諸事に囚われる己の甲斐性に、人知れず苦笑できるような男こそ、この車は相応しい。Mr.J(完)
いま、ジャガーを駆る、しなやかな男たちをMr.Jと呼ぶ。




Jが、いちばん似合う、外国。2

春霞の桜は天から贈られた手紙のよう、と日本の粋人が詠めば、ジャガーは、大地からの調べを綴った書簡です、と英国の詩人は言う。あの、パーナード・リーチが絵日記の中で「大気には春の気がこもり、山には桜が咲いている」と愛で、日本をこころの故郷としたように、絢爛たる東洋の神秘と、秩序ある東洋の気品は、さながら淡いピンクの糸で結ばれているかの様です。
ふと、ジャガーのJは、またジャパンのJでもある、と思いたくなるほど、この車の凛とした品格は、花びらの絨毯を淀みな賛美する。さて、桜の季節になると、別に何をするという訳でもないのだが、このままだと、また一年あっけなく過ぎてしまう、という想いに胸がざわめく。
今年こそ見納めの前に、目の前に佇む年来の恋人、Jと契りをかわそう。ジャガーがいちばん似合う国に、生まれ育ったよろこびが、ドアの向こうに、そしてシートの中にたちこめる。花吹雪の後々までも。J







Jが、いちばん似合う、外国。

英国が生んだ陶芸家、バーナード・リーチはこころの故郷、日本を愛で、その絵日記に「大気には春の気がこもり、山には桜が咲いている」と綴った。一枚の絵巻物を目の当たりにするごとく佇むジャガーを見ると、絢爛たる東洋の神秘と、秩序ある静養の気品はさながら、淡いピンクの糸で結ばれているかの様である。遥かなる時間と空間が織りなす存在感と、そこはかとない美意識。ふと、ジャガーのJは、またジャパンのJでえもある、と思いたくなるほどこの車の凛とした品格は、花びらの絨毯を淀みなく讃美する。さて、桜の季節になると、このまま何もせずにいると、また一年あっけなく過ぎてしまう、という想いに胸がざわめく。今年こそ見納めの前に目前に移る年来の恋人、Jに契りを申し込みをしよう。ジャガーがいちばん似合う国に、生まれ育ったよろこびが、ドアの向こうに、そして、シートの中にたちこめる。花吹雪の、あとあとまでも。J






2度目のイギリス、Jが眼にしみる。

新緑の5月という表現をイギリス流に言うと、The Leafy Month of Juneとなるそうだ。「青葉のしみる、6月」とでも訳せようか、これから夏にかけてのイギリスは、一年中でいちばん美しい、季節。そんなサマータイムの遅い午後、ホテルの部屋で、読みかけの推理小説を閉じ、おもむろにティーなどを入れ、何気なく窓の外に目を遣ると、しずごころなく、ジャガーが佇んでいるではないか。いつか洋画のスクリーンで出逢ったような、懐かしい感覚。優雅にして気品あふれるスタイリングは、周囲をそこはかあいとオーラで包み、見知らぬ旅人をも、フォトジェニックな光景でもてなす。流れゆく異国の時間の中、こうしたシーンが、どれほど心をなごませ、また、どんな記念写真よりもアルバムに収めたくなるのだ。メイド・イン・イングランドの逸品。新しいトラベル・ダイアリーの、1ページ目に万年筆で、そっとメモを走らせた。レーシング・グリーン色の、J。




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